私は石川県出身なので、子供の頃はよく「雪かき」をしました。
最近は降雪量が減り、雪かきの回数が減っているようです。
雪国出身と関係ありませんが、小中学校では剣道少年でした。
キッカケは偶然近所に剣道教室があっただけなのに、名前からして運命を感じております。
中学ではパンクとバイクと剣道で、かなり混乱していました。CHAOS UK
そんな私の脳がある記事に惹かれたのは必然でしょうか。
無意識に関連付けをする脳味噌って、なんとも不思議なヤツです。
内田樹さん。
何度か購入しようと本屋へ足を運ぶも、立ち読み段階でやめている人です。
私には内容が難しそうなのです。
今回はコラムで出会いました。
辺境人の広告も兼ねているんでしょう。
だけど、コラムは本と違って短いので、入門するにはもってこいな出会いでした。
予想通り、共感する内容でした。何で本になるとコムツカしいオーラを出すんだろうか。
コラムといっても「いいな、この辺の文章」という所がたくさんあって、ほぼ全部。
まとめようにもまとまらず複写状態です。
何とか3部構成、いや2部構成になりそうです。
読売巨人軍が一時、4番打者ばかりそろえて勝てませんでした。
小技の上手い選手、つなぎのできる選手も加えて、適材適所の役割分担型のチームにして強くなった。
総合力では劣っていても余人をもって代え難い得意技を持った人、
身の程をわきまえて黙々と仕事に打ち込む人、
人を立て周囲を奮い立たせる人。
【組織のメーンストリートではない周縁で『雪かき』のような地道な仕事をいとわない人たちがいる。】
そんなモチベーションが高い組織は強い。
集団のパフォーマンスを上げるためには、いろいろなタイプの人材を有機的に組み合わせないといけない。
頭が切れてロジカルな人ばかりを集めると組織は破綻する。
成果主義は個人の能力と達成を評価するものです。
【しかし実際にはそんなものを取り出して計測することは不可能なのです。】
【仕事は集団で行うものです。】
個人的な能力は高い。だが、その人がいるせいで集団のパフォーマンスが下るという人間は『仕事ができない』人間なのです。
「身の程を知る、分際をわきまえる」という言い方は今や死に瀕している。
これは集団の中において自分の果たすべき役割を認識することです。
「身の程知らず」の人間は、自分を大きく見せようとするあまり、無意識に周りの人間の仕事を妨害し始めます。
【『能力のある人間』たちが、相対的な競争では勝者になっても、集団そのものの力は次第に衰えてゆく。】
それが日本の現状なんです。
【仮面をたくさん持って時と場合で使い分けるといい。】
臨機応変にキャラクターを変えるのです。
おじさんになったり少年になったり、ある時はおばさん、あるときは少女、というように。
仮面をかぶって人と関わることを今の人は『自分らしくない』と言って嫌います。
でも仮面は何より集団の中で自分に期待されている役割を果たし、自分を守るものなのです。
武士道は『生き残る』ためのノウハウだと思います。
その本質は『ありもの』で間に合わせるということ。
「武道家は入れ歯が一発で合わないといけない」
生まれついての天然の歯がもうないとき、
それと同じものを求めて『合わない』と不平を言う人間と、
自分の口腔の筋肉や関節の使い方を変えることで、口の中に異物を『合わせる』ことのできる人間の、
どちらが戦場で使い物になるのか。
【戦場では『武器が足りない』とか『地の利が悪い』とごねる余裕はない。】
与えられた状況で最高のパフォーマンスを達成するには、どうすればいいか、思考法を切り替えなければならない。
加齢すると身体の力は落ちてくるし、記憶力も悪くなる。
それに不平を言って『アンチエイジング』などを試みるべきではありません。
【武士道的には、現状をありのままに受け入れ、残された手持ちの資源で何ができるかを考える。】
失ったもの、できなくなったことを数え上げるより、まだできることを数え上げる方がはるかにいいです。
雪かき
身の程を知る
仮面
武士は入れ歯を一発
これで行きます。
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