本来無一物、無一物中無尽蔵

日々是好日

2010年3月11日木曜日

しあわせ

『仕合せ』って言葉があるんですねー!

恥ずかしくも知りませんでした。
「しあわせ」と言えば、「幸せ」しかないと思っていました。

めぐりあわせ、機会、天運、幸福、好運という意味でした。
そしてなんと、「幸せ」を調べると、『仕合せを参照』だって!

いやぁ~、恥ずかしい~。。 

出会った言葉

仕事とは、という本や記事は多いです。
そこで出会う言葉もたくさんあり、こころに響くものが少なくありません。

「仕事のリストラはしますが、人のリストラはしない」

ある創業経営者は戦後すぐの頃、仕事の哲学として、人を愛し、国を愛し、仕事を愛すということを明言し、「自分は定年のない会社を作りたい」と宣言していたそうです。
憧れますねー。
良いか悪いか分かりませんが、私は好きだし、参加したいと思います。
(参加なんですよねぇ~、今の自分は。作ろうとしていない。。)

記事の中で一番好きな言葉だったのは、

「会社の仕事とは他人のためにすることです」

まさにこれは私の思っている理想を言葉にして頂いた感じです。
理想であって現実的ではないのかなぁ。。
もしくは、理想であって実現は困難なのかなぁ。。

そして、
『仕事という素朴な言葉にわれわれが抱いている、得体の知れないものは変わらない。』
この【得体の知れないも】という言葉です。
まさにこれは私の思っている疑問を言葉にして頂いた感じなのです。

言葉について書くつもりが、自分のモヤモヤを他人が言葉にしたということが嬉しかったようです。

2010年3月10日水曜日

文化の違いに驚く

去年の年末から新聞の夕刊が始まり3ヶ月目です。

今のところの感想は、「大変」の一言です。
それが苦痛ならやめてしまえば良いだけの事ですが、そうもいかない。。。

その理由は、購読するとついてくる、コンビニの価格が高い、おもしろい記事がたまに載る、が挙げられます。
どれも私にとっては悩ましいネタです。

夕刊、朝刊を問わず気になった記事は、せっかくなのでここに書き留めています。
どうせ忘れるので大した事ではありませんが、これも勉強の一環です。

今回は韓国の文化についてです。
お隣の国なのに私は行ったことがなく、ほとんど知りません。
お隣の国なのに文字がまったく違っていて不思議だなぁとボンヤリと思っているぐらいです。
そして、レストランでは食べきれないほどのおかずでお客さんをもてなすのが韓国の「礼儀」だそうです。
私は食べ残すのが苦手なので、想像の中ですが困りました。
例えば、800円の釜飯を注文したら、おまけのおかず(パンチャン)が7皿も出てくる時があるそうです。
またこのパンチャンの味と量がお店の人気を大きく左右するそうです。
一方で、お店の負担と「使い回し」の問題もあると書いてあります。厳格なルールが導入されたそうですがサンチュやミニトマトなど「原形をとどめていて洗ってすぐ使える場合」は認められるとも。

文化にもルールにも驚きました。
外国でなくとも日本国内にもまだまだ知らないことがありそうです。
大変だー。

2010年3月9日火曜日

ありがとうの日

今日は、ありがとうの日。

と言われてもピンと来ませんでしたー。
そこでカレンダーを見ます。。
3月9日、あーなるほど。
サンキューね。

そう思った瞬間、脳が関連付けを行いました。
(と脳の別の部分が感じた・認識したことが、一番うれしかった)

去年の誕生日に、姉から祝福の言葉をもらいました。
この一年はサンキュー・イヤーなので、感謝の一年にしてくださいねと。

その時は「まさに、その通りだ」と思いましたが、なかなか実行は難しいです。
仕事や生活と同じで、何かしようとすると難しいもんですねぇ。。
「感謝するぐらい」簡単、と思いましたがとんでもない、とんでもない。

だけどサンキューには副産物があるのではと、書きながら思いました。
それは、こっちも「サンキュー」な気持ちになっていませんか?
不思議です、本当に不思議なもんです。
神か?仏か?やっぱり山伏か?

まだまだあと半年あります。
39、39で一杯にしたいです。
次はバリウムかぁ。。。

2010年3月7日日曜日

私の反復練習

次の一歩を踏み出すための方法についてです。

新聞にもビジネス本のような記事が載っています。
まぁ、これだけのブームですから当然でしょうか。
だけど悔しいことは、ブームになるくらい間違いないことなのに、実行できない自分がここにいます。
はぁ~。
大勢の人が大事なことだと分かっていても、できる人とできない人がいると思います。

できないならできないで、忘れないように刷り込もうと思います。

記事には二人の成功者のオススメ法が紹介されています。
改めて書き記します。

【良かったことを見つける】
悩み苦しんだ末にたどり着いたのは「泣いても怒っても愚痴ってもいい。ただし、それで目の前の事実は変わらない。そこで事実からマイナスとプラス、2つの考え方をしてみる」という思考法。
最悪の中から1つだけでも「良かったこと」を探すように心がける。
「良かったこと」探しを習慣化するために、1日に1つ紙に「良かったこと」を書くことを勧める。
そしてその中に必ず学びの言葉を入れる。
「同僚から仕事を投げられて良かった。あんな言い方をしてはいけないと分かった。」
例題を私風にアレンジしたけどイマイチかな。。
これを30日間続けると、思考パターンが変わる。何が起きても必ず立ち上がる力が湧いてくるようになる。

できるかなぁ~、続くかなぁ~、ここが問題なのよねぇ~。

【勝負は朝】
夜、悩むと思考が悪い方、極端な方へと行きやすい。
「あいつのあの言い方はひどすぎる」「私は悪くない」と解決策から遠のいてしまう。
そこで朝早く起きてじっくり考える時間作ってみる。
朝、スッキリした頭で考えると、落ち込み過ぎることなく、客観的に考えられる。時間的制約もありグダグダと考えずに、頭の中を整理できる。

え~、困ったな~。すでに朝は珈琲の至福の時間を入れているので、いやだなぁ。。
すでに本を読んで、いくつか実行してみて、朝の時間を使用しているため、ここでまた「朝の時間に」と言われても困ります。

そうなんです。世の中にはいろんな方法論が溢れています。
まじめになんて不可能です。
さぁ、どうしましょうか。が最終的な感想でしょうか。
振り出しに戻る。
ぐるぐる、ぐるぐる、私の心は回るんです。
むしろ、ぐるぐる、ぐるぐる、回るもんなんじゃないの?
考えてても仕方がないのね。
じゃぁ、どうする?
何も考えない?
んー。。
やっぱ、山伏か。

山伏になったらどうなるか?

山伏ってどんなイメージをお持ちですか?

私はやっぱり時代劇に出てくるイメージですかね。
ほら貝持ってたりして。
ぶ、うぉ、うぉ~。。ぶ、うぉ、うぉ~。。ってね。
弁慶もそんなイメージですよね。
天狗もかなぁ。。
現代にも修験道の修行として存在するそうです。
いやぁ~、知りませんでした。。

宗教とはそもそも、明治になって英語のReligion を翻訳した言葉だそうです。
なので、この語は欧米が考える唯一絶対の神を持つ一神教にこそ価値がある考え方だそうです。
日本にも宗教はありますが欧米とは違うと記事は続いていきます。

この山伏、修験道という記事を読んで私がいいなぁと思ったのは、好きな登山にはこんなメリットもあって、知らないうちにこんな効用を身体に受けていたんだーということです。
もちろん今まで登山をしていて最高の気分を頂いていますよ。山と仲間から。
みんなおかしな人ばかりだし、空気は気持ちいいし、眺めはこの世のものではないみたいし、頂上では達成感ももらえるし。。
だけど実は他にも頂いていたようです。

山を歩けばその人なりに何かがつかめる。
道中を行ずる、その過程に最も大きな意味があって、ただ目的地に着くために歩いているわけではありません。
我を解き放つ、ということです。我執があるからこそ、つらかったりめげたりする。自分の都合通りにならないと理不尽だと思う。
かといって世界は自分の思うようにはならないものだと頭で考えていても心に刻まれません。
自然の中で体を酷使して聖なるものに触れる。その体験によって、我を捨てるという意味を心に刻むことができます。
我にとらわれなければ、理不尽だという思いもなくなる。昨日をくよくよし明日を心配する。そんな自分を超えたものと対峙することで、心は本当に楽になります。
修験道の修行とは、山で自然と向き合い、己の体を使って超自然的な力、霊的な力を感得する、ということです。

自然の中に神、仏を見る。
自然を神、仏そのものだと感じておそれる。
そういう心性で、自然とどうつきあうかを問うてきたのが日本人であり、その宗教心といってもいい。
神仏をともに大切にし、「ご先祖さまに顔向けできない」や「お天道さまが見てござる」と言って、自分を超えたものに価値を見だす。そういう倫理観が昔はあった。今はすっかり自分中心になりましたが、それでも宗教は生活のあちこちに残っています。。。

読み終えて思いました。
登山が好きでよかったー。
そして、昔の人の自然との付き合い方は学ぶべきだなぁと。
「最近はすっかり自分中心になりましたが、」ってところは寂しいと感じました。
山伏にはお坊さんも神官もアマチュアもいるそうです。
昔の山伏は山に入りっぱなしでしょうが、今では修行は非日常で、非日常で得た力を日常に生かすものだそうです。
私が山伏になったらどうなるんだろう。。。
まずは形から入りましょうか。。ほら貝ってどこにあるんだろう?!
それから、あのちっちゃな帽子?いるよねぇ~。

明日は御座なく候

かっこいー!

元総理のコラムにありました。
御座:いらっしゃること。
人はいつ死ぬかわからないのだから毎日「今日が最後だ」と思って今日を精一杯生きなさいということと書いてあります。
『明日は御座なく候』
んー、いい!

平均寿命が延びたといっても、社会に出てから活動できるのは、せいぜい50年かそこいらでしかない。
この限られた、かけがえのない人生をどう生きるか。

『そこがまさに問題の核心であって、そうであればつまらん小さなことにくよくよするのではなく、何事も完全燃焼するつもりで思いきりよくやっていきたい。』
前半がいい!
そこがまさに核心で、小さなことに。。。が、いい!

元総理の「日々の心得」もシビレました。
枕元に掲げてあるそうです。

「即起」(そっき)
朝目覚めたらぬくぬくと床の中で惰眠をむさぼることなく、ただちに床を離れて一日の活動の準備に入るということ、だそうです。

「作務」(さむ)
庭掃除、畑の手入れ、掃除、ろくろの作業など身体を動かして汗をかく仕事全般を総称するそうです。
私の場合なら、掃除、洗濯、勉強、珈琲、でしょうか。

「夜、不出門」
読んで字の通り、夜の巷を遊び歩いたりせず、会食などのつきあいも極力控えるということだそうです。

そして夜はひとり静かに習字や読書をして過ごし、就寝前には静座して一日を振り返る内省のひとときを持つように心がけるそうです。

んー、いい!
私もかくありたいです。
『そして夜はひとり静かに。。。』は是非実践したいです。
『内省』は、よく本にも書いてありますがなかなか実行できませんねぇ。。。難しいです。
『就寝前に静座』なんて、一番無理でしょう。
いや、待てよ。。。
【内省】しようと意識せずに、【静座】を意識したらどうなるんだろう?
どうせやんないんだから、暇つぶしに今夜からやってみるか、いや忘れてるな、きっと。。