本来無一物、無一物中無尽蔵

日々是好日

2010年1月14日木曜日

1リットルのペットボトル

新しいことを知りました。

インド人は1リットルのペットボトルを欠かさず持ち歩くそうです。

知りませんでした。
(中国人も水筒を持ち歩くと聞きました。コーラも大好きだそうです。)
トヨタのエティオスはペットボトル7本を車内に積み込めるインド仕様を出すそうです。


話は変わりますが、「パパラギ」という本の紹介を読み心にとまりました。

20世紀の初め、ヨーロッパに招待されたサモアのある大酋長が島に帰って「ヨーロッパ文明とは何であったか」を島民に報告する。
酋長の考えでは物には二つあって、ヨーロッパ人の言う物とは自動車やテレビなど人間が作ったものだが、もう一つ神が作りたもうた物というのがあって、それは美しい星空やきれいな砂浜、おいしい魚などだ。そういう物は我々の方がはるかに豊かで、自分たちの文明が物に関して貧しい文明だとは思っていない、と。

このお話しが心にとまったのは、次に紹介する別の心にとまっていた記事があったからだと思います。

ある作家の若かりしサラリーマン時代のお話です。
私がこのあと三十数年勤務して、長い階段を登ってゆくような歳月を経たのち、常務の席に就ける可能性はすくない。
俺はいったい何をするために生まれてきたのかという、痛みをともなう問いかけが湧き起こった。
ごく短い稲妻のような一瞬であったが、いつまでも消えない記憶となった。
ここに長くはいない。
いつかは辞職して自由になりたいと思っていた。

特に「。。。痛みを伴う問いかけが湧き起こった」というところに何ともいえない稲妻?が走りました。
この部分の前段には、こうあります。

入社以来、私は人の三倍の仕事をするといわれた。建設工事の工期が遅れかけてくると、課内は人声と電話の音で湧き立ってくる。
私は受話器を二つも抱え、忙しく業者と話し合い、図面をひらき、メモを取りながら、連絡を取り、購入物品の仕様、数量、納期を定め、製作現場へ駆けつけてそれらを確認する。
眼の回るような忙しさの中にいると、なぜか楽しくなってくる。

最後の「異常な忙しさの中にいると、なぜか楽しくなる」、ここですね。

他にもこうあります。
私は上役の覚えがめでたくなるようなことを、一切しなかった。
仕事はおもしろいので夢中で働くが、建設工事が終わり、通常の動きに戻ると、出社時間の終わる直前にタイムレコーダーを押し、退社時間には課長以下が居残っているときも、かまわず帰った。
有給休暇は年間二十日であるが、すべて休んだ。会社の業務に支障がないからかまわないと思っていた。
私は会社員の生活に慣れてはきたが、いつまでもなじめなかった。
「ぬるい風呂に入っている」というたとえがあるが、その通りである。
出れば寒い浮世の風が吹いている。

きっと、これだけ言うだけの仕事をしてきたからこその強気と思いました。
なかなかここまで、やるときはやる、休むときは休む、ことは難しい。
だけど、見習いたいと強く思う。

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